青森ねぶた祭り旅行 8日目 仙台~福島~茨城
いつもタイトルは出発地と目的地だけだったんですが、今回はあえて福島県を入れました。
この旅行のメインの目的は青森のねぶた祭りでしたが、帰りに走った福島での光景があまりにも印象的だったので。
石巻を出発する朝、僕とKの目覚ましの音で目を覚まします。
Kは仕事に、僕は大阪へと。
夢から覚めて現実へ帰るための電子音が部屋に響きます。
ちょっとかっこよく書きすぎました。
僕の目覚ましはEasy riderの主題歌のBorn to be wildです。
まだ旅は続きますからね。
いきなりネタバレですけど、よく年配の方が僕のバイクを見て「Easy riderやな!!」って言うんですよ。
あの映画の主人公ラストで二人とも撃たれて死にますからね。
まあ福島というとちょっと身構えるというか、ふざけちゃいけないみたいな雰囲気あるじゃないですか。
でもただの旅行のブログでそういうのも違うなと思うので、Born to be wildでも聞きながら見てください。
とりあえずKの仕事の時間があるのでパパッと用意します。
K「8時には僕は出るから」
俺「あっそう」
K「はよ用意して出ろってことや」
俺「じゃあKが荷物降ろしなさいよ」
と言いながら荷物を持ってもらってバイクまで運びます。
5日間も行動をともにしたKと別れて今日からまた一人旅に戻ります。
もう5日間って言ったら家族ですらこの年になると段々鬱陶しくなってくるレベルですよ。
しかも俺が大阪に帰ってきた翌日にはKも大阪に帰ってきて、またうちに遊びに来て泊まっていきましたからね。
そないしょっちゅう会わんとあかんのかと、彼女より会っとるやないかと。
この日は霞ヶ浦まで行く予定で、石巻をとりあえず出発してまずは松島へ向かいます。
途中でブルーインパルスが飾ってあったり。
曇ってるなあ・・・都合のええとこだけ切り取ったろ!!みたいな写真。
僕の写真は8割方がこれです。
松島と言えば、行きしなに名刺をいただいた料理長のいるホテルに「機会があれば行かしてもらいます」と言ったので、ラウンジでコーヒーでも飲んでやろうという作戦に出ます。
いやね、ご飯だけでもとか言われても、貧乏旅行のライダーが懐石料理なんか食えるかいなと。
ましてやまだ朝やし
で、着いたのがこちら。
あー・・・ほんまにしっかりしたホテルやんけ・・・。
もっと小汚いビジホみたいな所なら良かったのにと思ったけど、旅の恥はかき捨てなので。
ぼく「あいすこーひーをください!!!」
もう絨毯からソファからフカフカよ。
堂々としてたら他の人には宿泊客やと思われるやろと思ったらフロントと1対1のサシバトルでしたつらい。
ここまでくればむしろ怖いものは無いと思って、ロビーから松島のパンフレットを色々もらってきてその日のルートとか考えてました。
帰りに料理長の方にお礼伝えておいて下さいってお願いしたけど、「なんか・・・変な人来てましたよ」とか言われてないかな。
コーヒーを飲んだ後はバイクを駐車場まで移動して松島観光しました。
はい松島。
というわけで牛タン食べます。
宮城に来たのに屋台ばっかりで結局ちゃんとしたところで牛タン食べなかったな。
あとお洒落な喫茶店でプリンも。
お洒落すぎて一眼で撮ってたら意識高そうに見えるからスマホで撮ろう・・・とか、そういう絶妙な駆け引きが要求されるお洒落空間でした。
つーかコーヒー飲みすぎや。
旅行先では今行かんかったらいつ行くんやと思ってフラッと入っちゃうんですが、結果として後につらいのが集中して計画性の無さにたまに苦しみます。
僕の人生みたいなもんですね。
あとお茶好きなのに我が家には急須が無かったので、南部鉄器の急須を買いました。
てか南部鉄器は岩手ちゃうんかと、ここ宮城とちゃうんかと。
しかも帰ってきてまだ一回も使ってない・・・。
松島を観光してお土産を一通り買った後は仙台を通り抜けて福島へと。
もう暑いし車多いし暑いし暑いし・・・。
福島に近づくにつれ、段々とこういう看板が増え始めます。
自分が走っている今はきれいな道まで津波が来たというのがピンと来ません。
海なんて見えないしここなんて高いほうじゃないの?と。
休憩で立ち寄った道の駅には震災で破壊された看板が展示されていました。
僕はこの日この時間、某大学で改修工事をしていました。
職人さんたちとスマホを囲んで地震と津波の映像を見て絶句していたのを思い出します。
でも僕自身も幼いときに阪神淡路大震災を経験しているので、同じぐらいの被害かと思っていました。
原発事故が分かるまでは。
この電光掲示板は地震のために通行できないのではありません。
原発事故のせいで通れなくなっています。
行けるところまで行こうと思って、そのまま南へと下っていきます。
海側は本当に何もありません。
もう震災から5年も経つのに、一面どこを見ても更地です。
工事はしていますが、ここに人が住むことはもう無いのでしょう。
Kの話しでは住宅の供給が進んでも住民が帰ってこないので、供給過多になっているところもあると言っていました。
奇跡の一本松とは別の樹だけど、一本だけ生き残ってるのがここにも。
仮説住宅が建っていますがその近くでは線量計があり、大きな仮囲いの中には黒い袋に入れられたナニカが山のように詰まれていました。
浪江町に入りました。
僕が走れるところまであと少しです。
この先は帰還困難区域ということで、車以外は通行できません。
車も窓を開けず、走るだけで降りることもできません。
つまり生身のままでは立ち入ることが出来ないということです。
というか降りなくても車のボディやタイヤに、汚染された土やらがつくのではと思ったけど。
そもそも帰宅困難だなんて詭弁もいいところで、こんなの帰還不可能じゃないか。
たとえ除染が進んだとしても、ホットスポットを完全に無くすことはローラー作戦でもしなければほぼ不可能な気がしますし、いくら生まれ育った家がそこにあってもそこでまた元の生活なんて取り戻せるわけがありません。
宮城からここまで津波被害にあった場所も見てきましたが、今は元気に復興しつつあります。
ですがここは違います。
ここが一般人が生身で入っていける限界でした。
警備の人には通行不可って散々書いてあるのに迷惑かけて申し訳ないけど・・・。
原発については僕らが生きていくための電力問題があって、原子力が無くても日本の電力が大丈夫なのかとか、火力だけでは現在はフル稼働なのでギリギリだとか、自然エネルギーの比率を増やすべきだとか。
色々と意見はあるのだろうけど、正直どれも僕にはピンとこないというか・・・どれも数多くある問題の一面であって自分の意見ではなくて。
僕としては原発によってツーリングや、キャンプや、観光が出来ない場所をこれ以上作らないでほしいと思う。
ここに住んでもおらず、今まで来たことも無かった僕が変に理屈を振り回すよりは、これが身の丈に応じた正直な気持ちというところです。
引き返してきて、帰宅困難区域ギリギリにあるローソンで休憩しました。
客層を見ている限りでは復興で来ている職人さんばかりで、地元の方らしき人はほとんど見かけませんでした。
ローソン店内でも線量を示す画面が設置されていました。
原発事故の、ここは最前線なんだと感じます。
画面の方に行くと、裏にはメッセージがたくさん書かれていました。
人間の強さとか、優しさとかそういうのを見たような気がします。
「除染大好き。」はちょっと意味わかんねえけど。
早く復興してほしいけど、どれだけ復興しても僕らが死ぬまで・・・人間が今後何十年、何百年と立ち入れない地域ができてしまったということに怒りと悲しみしかありません。
これから先は一般道が走れないので、茨城までは高速道路で行くことになります。
高速手前でガソリンを入れて、高速道路で南へ下ります。
高速道路の路肩にも線量計が設置されており、帰宅困難区域内では見間違いでなければ3.9μSv/hと書かれていたところもありました。
普通にバイクでTシャツで走ってたけど大丈夫なんかなあ・・・。
高速の下、僕らが立ち入ることのできない土地を目に焼き付けます。
汚染土が入った袋が積み上げられ、黒いピラミッドがあちこちにできています。
畑があったところでは牛がそのまま何頭か歩いています。
確かに人間の生活していた痕跡があるのに、人は全くいません。
二度と使われることのない家屋が夕日に照らされて輝いていました。
高速を走ること3時間ほど。
ようやく茨城に着いたのは8時過ぎでした。
やべえ・・・茨城何もねえ・・・。
ハァ~
街灯ねえ
看板ねえ
車もそれほど走ってねえ
コンビニねえ
なにもねえ
暴走族だけぐーるぐる
霞ヶ浦の道の駅に行こうとしたんだけど、本当にこれなんですよ。
遠くから族のコール音だけは響いてくるんだけど周りは見渡すかぎり真っ暗。
上の写真もコンビニの駐車場であれですからね。
自衛隊の百里航空基地とかもあって、しかもこのタイミングで携帯のGPSも壊れ・・・。
迷子になって泣きそうになりながら霞ヶ浦の道の駅に向かいました。
霞ヶ浦が月明かりに照らされてきれいでしたよ。
道の駅に着いてこの写真を撮っているとき、実はかなり不安で泊まるかどうか悩んでいました。
というのも、道の駅にまずめっちゃ人が多いんですよ。
ポケモンGOやりにきてるカップルはいるし、堤防で花火してる家族はいるし、しかも霞ヶ浦を渡る橋には30分おきぐらいで暴走族が通るんですよ。
確かに大阪も治安が悪いところはありますが、関東の茨城なんてのは完全にアウェーです。
しかも大阪とは暴走族の数が違いすぎます。
もしテントで寝てて寝込みを襲われてバイクや装備を壊されたら・・・と思うと不安で不安で・・・。
そこで僕は「いやあ月がきれいなんで写真撮りにきてるだけなんすよ」みたいな雰囲気を出しつつどうしようか悩んでいたわけです。
しかし時間的にも体力的にもこれ以上の移動はつらい。
高速を降りてから霞ヶ浦まで散々迷子になった僕は、これ以上夜の茨城を走りたくない。
ええいままよ!!と諦めてテントを張ります。
道の駅に到着後4時間が経った頃のことであった。
不安に包まれながら寝た茨城の夜でした。
9日目は東京砂漠を壊れたGPSに翻弄され、江ノ島でもつらい目に遭い、なんとか静岡まで走ります。