私は死にました。
体は元気です。
心もまあ、ひどい頃に比べれば安定していてどちらかといえば元気です。
結局いろいろと旅をして帰ってきて普通に仕事しています。
最後にブログに書いた青森の翌年、北海道に行ってほぼ日本国内を制覇して。
正直自分の生まれた国ぐらい見て回ったら死んでもいいかなと思ってたけど。
今も色んなつらいことや不満もあるけれど、なんとなく生活できている。
家に帰れば大事な人もいる。
どちらかといえば幸せな生活をしているんだろう。
だからこそ、自分は死んでしまったんだなと思う。
あの頃つらくて悲しくてたまらなかった時も、今の生活も何も変わってはいない。
自分が磨り減らないように何も考えず、感じないようにしているだけ。
ただヘラヘラと笑いながらなんとなく過ごして今年も終わりをむかえる。
誰かや何かに心を壊される前に、自分で壊しているような気持ちだ。
もう、なにも無かったあの頃には戻れない。
何か大事なものを失ってしまった気がするけれど、代わりになにを得たのだろうか。
これでよかったのだろうか。
青森ねぶた祭り旅行 9・10日目 茨城~静岡~大阪
もう最終日は高速で大阪まですっ飛ばしたからまとめますね。
9日目 茨城~静岡
9日目は霞ヶ浦で不安な夜を過ごした所からです。
一応建物の裏手にテントを張ったおかげか、暴走族に見つからずに無事朝を迎えることができました。
不安で仕方なかったのでいつも以上に早起きして荷物を撤収します。
その後はバイクのチェーンがまた伸びてきてたので調整しました。
この前新潟で調整したばっかりのような気がしますが、新潟から約1500kmは走っているのでそんなもんかなと思います。
ちなみに旅行の総走行距離はおおよそ3000kmで、行って帰ってきたらもうオイル交換が必要なレベルの距離です。
荷物を積んでみて思いますが、車幅に対して荷物の幅が・・・。
僕のバイクのキャリアはほぼバイクの幅と同じなので、2/3以上はキャリアからはみ出ていて非常にバランスが心配です。
ちなみに旅行から帰ってきてからこの問題を解消するためにホムセン箱を買ったんですが、それはそれで高さが上がって荷物が逆三角形になってしまって難しいもんです。
この日はさくっと都内を抜けて江ノ島に行こうと思います。
サザンが好きなのでいつかサザンを聞きながら茅ヶ崎を走るというのがちょっとした憧れでした。
江ノ島を見た後は前回泊まった富士川楽座という道の駅にまた泊まって、前回は霞んでいてよく見えなかった富士山のリベンジをしようと思います。
早速出発して霞ヶ浦を渡り、まずはお風呂に入ります。
朝はやっぱりお風呂に入らないと何もする気になりませんからね。
お風呂から上がった後はひたすら6号線で都内へと向かいますが・・・めっちゃ混んでるんですよね。
そら世間の皆様は仕事ですもん、社畜ざまあwwwwwwwwwwwと思うけど自分も渋滞に巻き込まれてちゃ意味ないですね。
なんとか都内で迷子になりながら1号線に合流します。
都内ではこのスカイツリーちらっと見た以外はひたすら迷子になってました。
いやもうね、わざわざブログで愚痴りたくもないけどもこれだけは言わしてほしい。
なんで道がまっすぐじゃないの?右車線から合流して5車線の道をすぐに左折とかどう考えても不可能でしょ?ってか東京大空襲でしっかり都市計画する機会があったにも関わらずなぜ道路を碁盤目状にできなかったの?大阪も京都も札幌もNYも碁盤目状ですよ?なんで都市計画だけ欧州の放射線状にしちゃったの?放射線状にするなら交差点はラウンドアバウトにするとかあったでしょ?なんでそこは見習わなかったの?大体西に向かってるのに気づいたら北に向いてるとかおかしいでしょ?道路を碁盤目にしてから首都名乗れよ?国交省無能すぎでしょ?
本当に、東京都内の道分かりにくすぎでしょ。
しかも交通マナーがクソ過ぎない?
大阪や名古屋とかも交通マナーは良くないけど比較するとこんな感じ。
大阪:「うわあキチガイみたいな運転やなあ・・・」
東京:「なんやこいつキチガイやんけ!!!!!」
これぐらいにキチガイとの遭遇率高い。
都内から神奈川に抜ける途中なんてエクストレイルがめちゃくちゃ煽ってきて、あわや僕の膝先10cmぐらいから抜いていこうとしましたからね。
あまりの横暴さに腹が立ったので全力で前に出てふさいでやって、乗ってるおっさんに思いっきり中指立ててやりましたよ。
本当に東京砂漠の闇を見た気がしました。
文字通り東京砂漠過ぎて僕のバイクの滅多に回らない冷却ファンがうなりをあげてましたからね。
まあそんなアクシデントに見舞われつつもなんとか都内を抜け、江ノ島に着くと・・・もう夕方ですよ。
どんなけお前迷子になってたんやと。
茨城に入ってから携帯のGPSが完全に死んでしまったので青看板を頼りに走るしかないんですよね。
仕方ない。
というわけで江ノ島にようやく到着です。
ちなみに写真でスマホ見てる人の9割はポケモンGOやってますからね。
そないポケモンせんとあかんのかと。
ポケモン乱獲しすぎちゃうんかと。
こんな張り紙も貼られる始末ですよ。
とか思ってる間にこの時すでに時計は16時をさしています。
俺は東京でどれだけ時間を無駄にしてたんだ・・・。
急いで江ノ島見ないと・・・と思ってズンズン登っていきましたが、僕小さい路地に入っていくの好きなんですよ。
ふと路地の先を見るとGigiカフェっていう看板が。
せっかく江ノ島まで来て、自分が行きたいところを我慢しても仕方ないですから。
ろくに観光もしないまま路地の奥へフラフラと誘い込まれていきます。
江ノ島にあるアートと雑貨とカフェのお店「Gallery&Zakka Gigi」
店内は手前にギャラリーがあって奥が喫茶店になっていました。
先に座っていたおじさんの横の席に座ってアイスコーヒーを頼みます。
僕の注文するときのイントネーションでしょうか?
関西からですかと話しかけられて、おじさんも昔奈良に住んでいたんです、ということから1時間ぐらいずっと話してました。
バイクで九州に行った話しや今は青森まで行った帰りだとか、北海道に行くなら礼文島がオススメですよと教えてもらったり、函館から札幌までは峠なのでフェリーで名古屋から苫小牧までの便がいいですよとか。
おじさんはもう退職されていて、「下手にパチンコなんかに行ってお金使っちゃうよりいいんですよ」と言いながらポケモンGOをしていました。
ポケモンGOおそるべし。
本当に僕はおじさんウケするようで・・・イヤラシイ意味じゃなくてね。
おじさんが好きそうな感じの商売でもすれば、いや・・・毎日おじさんもちょっと。
その後はお客さんが増えてきたので、僕とおじさんは店を出ました。
僕は江ノ島まで来たので生しらす丼を食べに、おじさんはまたポケモンをゲットしに。
とりあえず軽くお土産を見て鳥居を見てから、生しらす丼があるお店に入ります。
夕方だと売り切れてるお店も多いんですよね。
せっかくここまで来てしらすだけってのももったいないので鮭の親子も一緒に。
この丼だけでどれだけの魚の命が・・・と思うと業の深い食べ物ですね。
周りは観光や海水浴帰りのカップルであふれている中、男一人で食事するのもだいぶ慣れました。
いやまあつらいですけど。
食べ終わってから喫煙所に行くと、またおじさんがそこでタバコを吸いながらポケモンをしていたので、僕もポケモンを捕まえながら30分ほど話します。
「ここだと3箇所のポケストップに歩かずに届くんですよ」
と、なんとも若々しいやら年寄りくさいやら変わったおじさんでした。
僕はまだ静岡まで走らないといけないので、しばらくしておじさんと別れます。
空模様が怪しいのでカバンにかけるレインカバーとカッパを出しやすいところに用意して江ノ島を後にして茅ヶ崎を西に走ります。
さらば湘南。
関東はどこかに腰をすえてゆっくり走りにきたいですね。
江ノ島ももっとゆっくり見たいし、横須賀・横浜も行きたいし、日光や海ほたるなんかも行ってみたいです。
で、走り始めて15分。
突 然 の 豪 雨 ! !
カッパ着る暇もないぐらいにいきなりの土砂降りです。
路肩にバイクを停めて急いでカバーをかけてカッパを着ましたが、とてもバイクで走れる雨ではないのでコンビニの軒下に避難しました。
全国的に見ても僕が今いるここだけですよ雨降ってるの。
もうどんだけ雨男なんだと。
完全に追尾ミサイルみたいな精度やんけと。
一体俺がなにを悪いことしたのかと。
ネコもこの雨では外に出れないもんねえ。
家のネコを思い出して、早く帰ってやらないとな・・・と思います。
30分ぐらいして雨が少しマシになってきたので、箱根峠へと走ります。
箱根峠は毎回旅行のたびにつらい思いをしていて。
一回目:雨
二回目:深夜
三回目:夜で雨
と回を追うごとにつらさを上げてきている気がします。
走り屋多いから荷物満載で走りたくないんだよなあ。
雨が完全にやんだので途中の休憩所でカッパを脱いで着替えをして、静岡の富士宮まで走ります。
静岡はバイパスが多いので走りやすいんですが、東西に距離が長いので嫌いです。
走っていて見るものも富士山以外に無いしね。
それも夜だと全く見えないし・・・。
なんとか道の駅富士川楽座に着きますが、ここでもポケモンGOしてる・・・。
なんかみんなウロウロしてる中でテント張るの嫌だなあと思ってしばらく待ってたんですが、なかなか帰りそうにないので諦めました。
茨城の暴走族に比べればまだマシですからね。
10日目 静岡~大阪
やはり山の方とはいえ暑くて目が覚めます。
相変わらず建物の物陰にこっそりとテントを張っています。
さて、富士山は・・・
く も り !
全く見えませんでした。
何のために静岡まで・・・。
もう仕方ないので淡々とテントを片付けます。
バイクに積み込んだあとは道の駅のドトールで朝ごはんを食べて、お土産を買いに行きました。
急須を買ったのでお茶葉を買い、前回来たときに買ったお寿司が美味しかったのでまた買ってきてベンチでパクつきます。
曇り空を眺めながら帰りのルートを考えました。
富士山より西は全く何も見たいものが無かったのでそのまま高速で大阪まで帰ることにします。
しかし、この日はもうお盆・・・混むことも考えて道の広い新東名でひたすら西へ爆走します。
このSAでの休憩以降、僕は全く写真を撮っていません。
本当に僕はブログなんて書く気があるんでしょうか。
100歩譲って書く気があったとしても、読んでもらおうとか雰囲気が分かるようにとかそういう配慮をする気がさっぱりありません。
しかしそれも仕方ない。
なぜなら、4台が絡む玉突き事故があり大渋滞に巻き込まれてヘロヘロだったからです。
よくバイクならすり抜けできるから渋滞でも大丈夫でしょと言われますが、あんな大荷物を積んで車の間を抜けるのは本当にしんどいです。
それにめちゃくちゃ渋滞しててもなぜか車線変更する車ってたまにいるじゃないですか。
あれ大して着く時間変わらないのに一定数いてすり抜けしてると危ないんですよね。
でも待ってても進まないのでするんですけど・・・。
途中のSAでおじさん三人と話していて、出発のタイミングが同じだったので着いていくことにします。
後ろの人がゴールドウイングというアメリカ大陸横断以外で使い道ないでしょ?みたいな大きいバイクに乗っていたのでそれの後に続きます。
あのバイクが通れるところなら僕は絶対に通れますしね。
なんとか渋滞を抜けて・・・静岡を抜けて愛知に入り、名古屋の港の上を走り、三重から山の中になっていき、高速を降りて名阪国道で山を越えて、奈良を一瞬で駆け抜け、ようやく大阪に入ります。
いつもの走り慣れた道に出て家路を急ぎます。
大荷物を抱えて玄関を開けると、ミニが少しすねた顔をして出迎えてくれました。
長かったようで短かった青森のねぶた祭り旅行もこれでおしまいです。
総走行距離は寄り道なんかも含めてほぼ3000km。
こうして見るとずいぶん走りました。
北関東のあたりはおざなりな感じですが、これで北海道以外はほとんど行ったと言ってもいいんじゃないでしょうか。
来年の夏は北海道へ行って、帰りにねぶた祭りを見てから帰ってきたいと思います。
秋田の傘燈祭りも見たいしね。
そしたら日本中を北から南までバイクで走ったんだって自慢できますもんね。
それまで生きてるかなあ?
さすがにそれから帰ってきたら仕事しようと思いますが、今のところは何もまだやりたいことがありません。
ただただ、働きたくない。
また精神を消耗していくような生活に戻りたくないです。
それでは、ニートの生活に戻りますか。
青森ねぶた祭り旅行 8日目 仙台~福島~茨城
いつもタイトルは出発地と目的地だけだったんですが、今回はあえて福島県を入れました。
この旅行のメインの目的は青森のねぶた祭りでしたが、帰りに走った福島での光景があまりにも印象的だったので。
石巻を出発する朝、僕とKの目覚ましの音で目を覚まします。
Kは仕事に、僕は大阪へと。
夢から覚めて現実へ帰るための電子音が部屋に響きます。
ちょっとかっこよく書きすぎました。
僕の目覚ましはEasy riderの主題歌のBorn to be wildです。
まだ旅は続きますからね。
いきなりネタバレですけど、よく年配の方が僕のバイクを見て「Easy riderやな!!」って言うんですよ。
あの映画の主人公ラストで二人とも撃たれて死にますからね。
まあ福島というとちょっと身構えるというか、ふざけちゃいけないみたいな雰囲気あるじゃないですか。
でもただの旅行のブログでそういうのも違うなと思うので、Born to be wildでも聞きながら見てください。
とりあえずKの仕事の時間があるのでパパッと用意します。
K「8時には僕は出るから」
俺「あっそう」
K「はよ用意して出ろってことや」
俺「じゃあKが荷物降ろしなさいよ」
と言いながら荷物を持ってもらってバイクまで運びます。
5日間も行動をともにしたKと別れて今日からまた一人旅に戻ります。
もう5日間って言ったら家族ですらこの年になると段々鬱陶しくなってくるレベルですよ。
しかも俺が大阪に帰ってきた翌日にはKも大阪に帰ってきて、またうちに遊びに来て泊まっていきましたからね。
そないしょっちゅう会わんとあかんのかと、彼女より会っとるやないかと。
この日は霞ヶ浦まで行く予定で、石巻をとりあえず出発してまずは松島へ向かいます。
途中でブルーインパルスが飾ってあったり。
曇ってるなあ・・・都合のええとこだけ切り取ったろ!!みたいな写真。
僕の写真は8割方がこれです。
松島と言えば、行きしなに名刺をいただいた料理長のいるホテルに「機会があれば行かしてもらいます」と言ったので、ラウンジでコーヒーでも飲んでやろうという作戦に出ます。
いやね、ご飯だけでもとか言われても、貧乏旅行のライダーが懐石料理なんか食えるかいなと。
ましてやまだ朝やし
で、着いたのがこちら。
あー・・・ほんまにしっかりしたホテルやんけ・・・。
もっと小汚いビジホみたいな所なら良かったのにと思ったけど、旅の恥はかき捨てなので。
ぼく「あいすこーひーをください!!!」
もう絨毯からソファからフカフカよ。
堂々としてたら他の人には宿泊客やと思われるやろと思ったらフロントと1対1のサシバトルでしたつらい。
ここまでくればむしろ怖いものは無いと思って、ロビーから松島のパンフレットを色々もらってきてその日のルートとか考えてました。
帰りに料理長の方にお礼伝えておいて下さいってお願いしたけど、「なんか・・・変な人来てましたよ」とか言われてないかな。
コーヒーを飲んだ後はバイクを駐車場まで移動して松島観光しました。
はい松島。
というわけで牛タン食べます。
宮城に来たのに屋台ばっかりで結局ちゃんとしたところで牛タン食べなかったな。
あとお洒落な喫茶店でプリンも。
お洒落すぎて一眼で撮ってたら意識高そうに見えるからスマホで撮ろう・・・とか、そういう絶妙な駆け引きが要求されるお洒落空間でした。
つーかコーヒー飲みすぎや。
旅行先では今行かんかったらいつ行くんやと思ってフラッと入っちゃうんですが、結果として後につらいのが集中して計画性の無さにたまに苦しみます。
僕の人生みたいなもんですね。
あとお茶好きなのに我が家には急須が無かったので、南部鉄器の急須を買いました。
てか南部鉄器は岩手ちゃうんかと、ここ宮城とちゃうんかと。
しかも帰ってきてまだ一回も使ってない・・・。
松島を観光してお土産を一通り買った後は仙台を通り抜けて福島へと。
もう暑いし車多いし暑いし暑いし・・・。
福島に近づくにつれ、段々とこういう看板が増え始めます。
自分が走っている今はきれいな道まで津波が来たというのがピンと来ません。
海なんて見えないしここなんて高いほうじゃないの?と。
休憩で立ち寄った道の駅には震災で破壊された看板が展示されていました。
僕はこの日この時間、某大学で改修工事をしていました。
職人さんたちとスマホを囲んで地震と津波の映像を見て絶句していたのを思い出します。
でも僕自身も幼いときに阪神淡路大震災を経験しているので、同じぐらいの被害かと思っていました。
原発事故が分かるまでは。
この電光掲示板は地震のために通行できないのではありません。
原発事故のせいで通れなくなっています。
行けるところまで行こうと思って、そのまま南へと下っていきます。
海側は本当に何もありません。
もう震災から5年も経つのに、一面どこを見ても更地です。
工事はしていますが、ここに人が住むことはもう無いのでしょう。
Kの話しでは住宅の供給が進んでも住民が帰ってこないので、供給過多になっているところもあると言っていました。
奇跡の一本松とは別の樹だけど、一本だけ生き残ってるのがここにも。
仮説住宅が建っていますがその近くでは線量計があり、大きな仮囲いの中には黒い袋に入れられたナニカが山のように詰まれていました。
浪江町に入りました。
僕が走れるところまであと少しです。
この先は帰還困難区域ということで、車以外は通行できません。
車も窓を開けず、走るだけで降りることもできません。
つまり生身のままでは立ち入ることが出来ないということです。
というか降りなくても車のボディやタイヤに、汚染された土やらがつくのではと思ったけど。
そもそも帰宅困難だなんて詭弁もいいところで、こんなの帰還不可能じゃないか。
たとえ除染が進んだとしても、ホットスポットを完全に無くすことはローラー作戦でもしなければほぼ不可能な気がしますし、いくら生まれ育った家がそこにあってもそこでまた元の生活なんて取り戻せるわけがありません。
宮城からここまで津波被害にあった場所も見てきましたが、今は元気に復興しつつあります。
ですがここは違います。
ここが一般人が生身で入っていける限界でした。
警備の人には通行不可って散々書いてあるのに迷惑かけて申し訳ないけど・・・。
原発については僕らが生きていくための電力問題があって、原子力が無くても日本の電力が大丈夫なのかとか、火力だけでは現在はフル稼働なのでギリギリだとか、自然エネルギーの比率を増やすべきだとか。
色々と意見はあるのだろうけど、正直どれも僕にはピンとこないというか・・・どれも数多くある問題の一面であって自分の意見ではなくて。
僕としては原発によってツーリングや、キャンプや、観光が出来ない場所をこれ以上作らないでほしいと思う。
ここに住んでもおらず、今まで来たことも無かった僕が変に理屈を振り回すよりは、これが身の丈に応じた正直な気持ちというところです。
引き返してきて、帰宅困難区域ギリギリにあるローソンで休憩しました。
客層を見ている限りでは復興で来ている職人さんばかりで、地元の方らしき人はほとんど見かけませんでした。
ローソン店内でも線量を示す画面が設置されていました。
原発事故の、ここは最前線なんだと感じます。
画面の方に行くと、裏にはメッセージがたくさん書かれていました。
人間の強さとか、優しさとかそういうのを見たような気がします。
「除染大好き。」はちょっと意味わかんねえけど。
早く復興してほしいけど、どれだけ復興しても僕らが死ぬまで・・・人間が今後何十年、何百年と立ち入れない地域ができてしまったということに怒りと悲しみしかありません。
これから先は一般道が走れないので、茨城までは高速道路で行くことになります。
高速手前でガソリンを入れて、高速道路で南へ下ります。
高速道路の路肩にも線量計が設置されており、帰宅困難区域内では見間違いでなければ3.9μSv/hと書かれていたところもありました。
普通にバイクでTシャツで走ってたけど大丈夫なんかなあ・・・。
高速の下、僕らが立ち入ることのできない土地を目に焼き付けます。
汚染土が入った袋が積み上げられ、黒いピラミッドがあちこちにできています。
畑があったところでは牛がそのまま何頭か歩いています。
確かに人間の生活していた痕跡があるのに、人は全くいません。
二度と使われることのない家屋が夕日に照らされて輝いていました。
高速を走ること3時間ほど。
ようやく茨城に着いたのは8時過ぎでした。
やべえ・・・茨城何もねえ・・・。
ハァ~
街灯ねえ
看板ねえ
車もそれほど走ってねえ
コンビニねえ
なにもねえ
暴走族だけぐーるぐる
霞ヶ浦の道の駅に行こうとしたんだけど、本当にこれなんですよ。
遠くから族のコール音だけは響いてくるんだけど周りは見渡すかぎり真っ暗。
上の写真もコンビニの駐車場であれですからね。
自衛隊の百里航空基地とかもあって、しかもこのタイミングで携帯のGPSも壊れ・・・。
迷子になって泣きそうになりながら霞ヶ浦の道の駅に向かいました。
霞ヶ浦が月明かりに照らされてきれいでしたよ。
道の駅に着いてこの写真を撮っているとき、実はかなり不安で泊まるかどうか悩んでいました。
というのも、道の駅にまずめっちゃ人が多いんですよ。
ポケモンGOやりにきてるカップルはいるし、堤防で花火してる家族はいるし、しかも霞ヶ浦を渡る橋には30分おきぐらいで暴走族が通るんですよ。
確かに大阪も治安が悪いところはありますが、関東の茨城なんてのは完全にアウェーです。
しかも大阪とは暴走族の数が違いすぎます。
もしテントで寝てて寝込みを襲われてバイクや装備を壊されたら・・・と思うと不安で不安で・・・。
そこで僕は「いやあ月がきれいなんで写真撮りにきてるだけなんすよ」みたいな雰囲気を出しつつどうしようか悩んでいたわけです。
しかし時間的にも体力的にもこれ以上の移動はつらい。
高速を降りてから霞ヶ浦まで散々迷子になった僕は、これ以上夜の茨城を走りたくない。
ええいままよ!!と諦めてテントを張ります。
道の駅に到着後4時間が経った頃のことであった。
不安に包まれながら寝た茨城の夜でした。
9日目は東京砂漠を壊れたGPSに翻弄され、江ノ島でもつらい目に遭い、なんとか静岡まで走ります。
青森ねぶた祭り旅行 8日目 仙台
ふと目が覚めると、そこはSAの食堂でした。
時計は5時過ぎをさしています。
昨晩青森を発った僕らは、晩御飯を食べたあと猛烈な眠気に襲われ、SAの食堂で寝てしまいました。
外は空が白み始めています。
Kはまだ机に突っ伏して寝ているので、僕は外に出てタバコを吸いに行きます。
ああ・・・体中がだるい・・・。
だから朝に出発しようって言ったのに・・・。
と思いながら空を見上げますが、全てが遅い。
バイクの横に座り込んでいるとKが起きて出てきました。
俺「だるい」
K「しんどい」
俺「とりあえず石巻に帰ろう・・・」
二人で黙々と出発の準備をしてSAを後にします。
朝の高速は気温も低く快適です。
高速から見える景色は延々と山々が、山が開けると田園風景が広がります。
早朝から野焼きをしている人がいて、煙のにおいがヘルメットごしに僕らの鼻をつきます。
俺「くっさいねんほんま、田舎やからって朝から嬉しそうに草焼いてんちゃうぞ」
罵声を飛ばしながら僕とKは石巻へと走ります。
高速を1時間ぐらい走り下道におりて、コンビニで休憩。
コーヒーを片手に眠い目をこすりながら朝日が体を照らしていきます。
Kはガソリンを入れて、また走ります。
石巻のKの家へと帰ってきた僕らはそのままコインランドリーに行きました。
洗濯している間は幸楽園でお昼ご飯を食べます。
関東の方では幸楽園が多いですが、関西の横綱みたいなもんでしょうか。
正直横綱のほうが味は好きですが、幸楽園は値段が安い。
ラーメン一杯の値段で焼き飯と餃子もセットでついてくるので、とりあえず何か食べたい時には助かります。
ラーメンを食べて洗濯物を取り込んで外に出ると、雨が降ってきました。
そら台風来てますからね。
雨男の俺が洗濯したってなったら雨も降りますよ。
大急ぎでバイクに乗って帰りますが、結局びしょびしょに。
せっかく洗濯したのに。
Kの家に戻って着替えるとまた眠気が・・・。
七夕祭りの仙台市内までは電車で行くので少し休みます。
で、起きるともう夕方ですよ。
二人とも大慌てで着替えて用意します。
こっちは電車の本数が圧倒的に少ないので、駅まで歩いて急いで電車に乗り込みます。
正直電車は苦手だし、旅行中に乗ることになるとは思ってなかったので仙台まで座席で大人しく寝ます。
仙台では思っていた以上の都会っぷりに驚きました。
さすが東北一の都市、梅田を碁盤目状に整備して汚いところを無くしたような。
それに心斎橋商店街もくっつけましたみたいなチート。
でもお祭りはこれだけ。
この提灯みたいなのが商店街にずらーっと吊ってある。
しかもちょうど顔の位置にヒラヒラが来るのですごく邪魔。
昔は日本人の平均身長が低かったからこの長さなんですかねえ・・・。
七夕祭りは東北六大祭りのうちで一番がっかり祭りですね。
花火はすごいみたいなので、今度来るときは花火の時に・・・でも仙台でバイク停めれるとこあるのかなあ。
まあ七夕祭りはこれぐらいの規模でちょうど良かったのかも知れません。
だって二日遅れできたハネトの筋肉痛で足がパンパンでしたからね。
僕まだ26歳ですよ。
もう筋肉痛が遅れてくるってどういうことよ。
もう若くなくなってきているのを痛感しながら歩きます。
仙台のご当地アイドルが頑張ってました。
ステージの周りではドルオタが踊ってます。
これが若さか・・・。
で、屋台でまた二手に分かれては各自食べたいものを買ってきてビールを飲みます。
祭りなんて半分はビール飲んでうまいもん食うための口実ですからね。
一通り回った後は駅へと戻り石巻へと帰ります。
石巻の駅に着くとまた雨ですよ。
僕らが駅から出ると降ってくるわけですよ。
Kの家まで徒歩10分、傘はKの折り畳みが一本あるのみ・・・。
地 獄 の 相 合 傘 ! !
家に着くと冷蔵庫に入れっぱなしにしてたずんだ餅を食べて寝ました。
もう対決列島する元気も無く・・・。
次の日は石巻を出て松島観光、そして福島へ。
福島では人間が生身で行けるところギリギリまで走ってきました。
Kが復興で東北に行っていることからも震災の爪跡はいまだ各地に残っており、地震の被害の大きさ、そして原発事故の被害に言葉を失います。
青森ねぶた祭り旅行 7日目 青森~仙台
ようやくハネトとして跳んだ翌日は、ものすごいだるさの中で目が覚めました。
まだ寝たい・・・寝たいけど暑い・・・とテントからズルズルと出ます。
Kはもう起きて衣装の洗濯をして干しているところでした。
前にも一度貼ったこの写真です。
僕は何も言わずにコーヒーを沸かします。
もはや飲みたいかどうかは関係なく、ただただキャンプを味わうためだけにコーヒーを飲んでいるような気すらしてきます。
昨日と同じようにコーヒーを飲みながら予定を考えていたんですが、この日はなかなかまとまりませんでした。
僕とKで侃々諤々の議論が始まります。
問題はこの日の夜に行われるねぶたの海上運航と花火を見たあと仙台まで帰るか、それとも次の日の朝に帰るかでした。
仙台でも七夕祭りをやっているので、東北の祭りの手ぬぐいを集めてるKは先に帰っておいて万全の状態で祭りに向かいたいと。
僕は体力的にもしんどいし、祭りの後は渋滞が予想されるので次の日の朝にしようと。
協議の結果、花火を見たらすぐに高速で帰るということで話しはまとまりました。
この判断が後々にジワジワと響くことになります。
とりあえず帰るのであれば、花火が見えるところまでバイクに荷物を積んで移動しようかということになりましたが、Kは朝から衣装を干したところです。
いくら真夏の晴天で、薄手の浴衣とはいえそんなすぐには全部乾きません。
ホットコーヒーにウンザリしてきた僕らは近くのスーパーに買い物に行くことにしました。
Kは未だにねぶた祭りの「オフィシャルの手ぬぐい」が手に入ってないのでスーパーですら探しています。
僕は併設されている本屋でツーリングマップル東北版を買いました。
これも行った地方の分は関東以外買っているので、ある意味コレクションみたいなもんですね。
実際にこれを見てどこかに行くことはほとんど無いんですが、見てると旅行気分が上がります。
スーパーで飲み物と氷をもらってきて、袋で冷やして飲みながら片付けをはじめます。
すでにテントはサウナになっているので、片付ける順番と着替えるタイミングなどを考えながら動きます。
服は基本的に圧縮袋に入れてるので本当は最初に着替えれば早いんですが、それだと片づけが終わる時には汗だくになっています。
どうせ汗だくになるとはいえ、できるだけなんとか持ちこたえたい・・・。
なんとか片付けを終え、テントとタープを畳みバイクに全てを積み込みます。
サマーキャンプ場、大変お世話になりました。
最後に周りのゴミを拾って掃除をしてからキャンプ場を出ます。
来たときよりもきれいにが基本ですからね。
朝に予定を話した時にもどうするか話し合ったのですが、バイクをどこに停めておくのかということです。
僕はハネトをした時に停めた港の方の臨時駐車場にしようと言ったのですが、Kは手ぬぐいのことやお風呂のこともあるので市中の駐車場にしようと言います。
それに僕はそこまでひどくなかったのですが、Kは筋肉痛で足が痛いというので。
じゃあ市中にしようか・・・ということにしたのですが、車は停めれても荷物満載のバイクが長時間停められそうな場所が見当たりません。
挙句の果てには「女性専用駐車場」とかいうフェミニストも真っ青の謎の駐車場に行き着いたところで心が折れます。
諦めて港の方に停めようということでまた港まで逆戻りします。
僕とKは色々と言い合ってKに合わせるということが多いのですが、結局は僕の言った方になるということも多くて、ある意味それでバランスが取れているのかなと思います。
お互いに頑固なのですが、よっぽどこだわりが無ければ大体めんどくさがりの僕が折れるのも高校の頃からのつき合いなので見透かされているような気もします。
青森港の近くに戻ってアスパムという建物の駐車場にバイクを停めます。
アスパムは三角形の変わった建物なんですが、フリーメイソンっぽいです。
僕はアスパムはハロワがあるから嫌だと言ったんですが、ニートに選択権は無く・・・まずは中でお土産を買いました。
「生まれて墨ませんべい」を両親に買ってみたり、「跳豚」と書かれたTシャツを旅行中に猫の面倒見てくれてる友達に買ったり。
その後は青森らしいものということでアップルパイを買い食いしてバイクに荷物を積みました。
その後は手ぬぐい探しとお風呂です。
極楽湯までは遠いので少し近めの銭湯に炎天下のなか歩いて行きました。
お風呂に入って、浴室の入り口横にある地図を見ながら体を拭いているとおっちゃんに話しかけられました。
今いるところはどこだとか、海上運航までは遠いのかとか・・・僕は地元の人間じゃないですよ・・・。
横には他の人もKもいるのに、なぜ僕ばかりおっちゃんを引き寄せるのか謎です。
お風呂に入った後は外が暑くてしんどいので待合室で少し寝て休憩します。
テレビでは甲子園で若い子らが頑張っているのを、青森限定のリンゴジュースを飲みながら聞きます。
まあ、味は普通なんですけどね。
やっぱりこいうのは搾りたてすぐじゃないとねえ。
お風呂から出た後も手ぬぐいとお昼ご飯のお店を探してウロウロと歩き回ります。
どのお店もピンと来ないし、手ぬぐいもオフィシャルの手ぬぐいとなるとどれなのか分からないし・・・と歩き続けます。
ねぶたの家 ワ・ラッセという建物の周りに屋台が出ていたので、そこで各自別れて自分の食べたいものを買ってきて机に戻ります。
Kもそこで売っている手ぬぐいで諦めたようでした。
少し遅い屋台のご飯を食べた後は花火会場の方へと移動です。
が、まさかの海側は全て有料で、ねぶたの海上運航もかなり遠くにしか見えません。
僕らは学習しました。
花火はキャンプ場でビールでも飲みながらゆっくり見るべきだったと。
まあ今さら言っても仕方ありません。
何事も裏目に出ることはあります。
仕方ないのでセメントのプラント工場の近くで見ましたが、人が少なかったのでそれはそれで良かったです。
遠い・・・。
あ、花火は微妙でした。
ってか大阪にいるとPL花火大会があるので花火のハードルが上がっちゃうんですよね。
風も無いので終始煙がかかっちゃてるし、花火はやっぱりキャンプ場で打ち上げのBBQでもしながらついでに見るのが良さそうですね。
あまりにも花火撮ってても仕方ない感じなんで全く関係の無いものを撮ったり。
僕が写真撮ってる間にKは隣のおばちゃんにおにぎりもらってました。
なるほど、Kはおばちゃんで俺はおっちゃんかと・・・。
で、そろそろ花火が終わる・・・となって僕とKは急いでバイクへと戻ります。
この車社会の青森で渋滞が始まる前に高速に乗ってしまわないと地獄を見るのは明らかです。
戻るとバイクの周りは大量の自転車に包囲されていました。
こいつら・・・と思いつつ急いで自転車を移動しバイクを出します。
高速の手前でガソリンを入れてさあ仙台へ!!!
・・・とならないのがバイクです。
お土産を積むためにカバンの大きさを拡張(僕らはトランスフォームだ!!と言ってましたが)したのですが、どうもバランスが悪いらしく斜めになってます。
最初のPAで停まって荷物を整えて高速を走ります。
途中のSAで大阪から来た人と話して、晩御飯を食べてとしますが・・・眠い。
晩御飯にラーメンを食べたあと少しウトウトし始めます。
Kは完全に机に突っ伏して寝始めました。
やっぱりキャンプ場で花火を見て翌朝帰ればよかった・・・と思いますが文字通り後の祭り、睡魔にやられていきます。
次に僕らが目を覚ますのは、食堂の時計が5時を過ぎた頃になるのでした・・・。
8日目は仙台に帰って七夕祭りです。
ここからまた僕の雨男が本領発揮します。